ヤバイPロダクト屋さん

これヤバイ!と思ったプロダクトを独断で紹介します

インスタメディア「古着女子」はただのメディアじゃない

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古着をオシャレに着こなす女子たちのコーデ写真がズラリと投稿されているフォロワー14万を誇る「古着女子」というインスタアカウントがある。

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古着女子を一言でいうなら、古着画像のキュレーションだが、ただのキュレーションではない。

今ではなんと、古着女子に取り上げられたいオシャレな女性たちがこぞって「#furuzyo」タグを付けて画像をアップしており、一種の”コミュニティ”になっているからだ。

古着女子がヤバイのはコミュニティブランドであること

そんな古着女子は独自のコンセプトショップ「イチゴイチエ」を始めようとしている。

そして、このショップのプロデューサー、モデル、スタッフにはファッションの専門家ではなく、古着女子に掲載された事のある一般のInstagramユーザーを抜擢するという。

つまり古着女子好きのユーザー、古着女子コミュニティと一緒にショップ作り、ブランド作りをするチャレンジである。

僕はこのコミュニティと共にショップ作りをしようとする試みにヤバさとエモさを感じた。

ユーザーが買うのは機能ではなく、愛

古着女子は先ほど書いたようにもはや単なるメディアではなく、コミュニティだ。

そして古着女子がはじめるコンセプトショップは単なるショップではなく、コミュニティと連動するショップである。

つまり、コンセプトショップ「イチゴイチエ」はコミュニティと一緒に作り、コミュニティに向けて販売するモデルと捉えられる。

そうした古着女子のモデルは、みんなでお揃いのTシャツを着て文化祭の用意をして、それを自分たちで鑑賞することを思い出させる。

青春のエモい1ページだ。では僕たちが文化祭やお揃いのTシャツに求めるものは何か。

おいしい出店や感動の劇、カッコいいTシャツといった高いクオリティだろうか。

いや違う。求めるのは自分も参加してるんだという共同体の一員としての感覚、すなわち愛ではないだろうか。

古着女子が展開するイチゴイチエはまさにそれを売っている。

単に服を売るのではない。みんなで作り上げて、それを買うことで一員としての感覚を手に入れること。それに対してお金を払うのだ。

これはエルメスなどのブランド品とも違う。確固たるコミュニティと密に結合した新しいスタイルのブランドである。

もちろん古着女子はセンスも良いだろうが、本質はそこではない。

機能や品質で買うのではなく、愛で買ってしまう点が僕はヤバイと思うのだ。

古着女子はZOZOカルチャーへのカウンターカルチャー

このように古着女子は単なる機能性や、そのセンスを最大の売りにしているわけではなく、コミュニティ性を売りにしている。

一方この丁度反対には、ZOZOやユニクロがある。

サイズの概念を覆したZOZOスーツはクールだし、繊維技術をふんだんに盛り込んだヒートテックは寒い冬には欠かせない。

こうしたブランドは圧倒的な機能性やユーザー体験を提供しており、これからのトレンドだろう。

だが、そうした先進的なカルチャーばかりだと飽きてしまうのが人間だ。

その飽きた人たちのニーズとしてエモいカルチャーが求められ、古着女子は成立しうるのではないかと思った。

まとめ

このように古着女子は、単なる品質ではなくコミュニティをもとにしたブランドによって欲しくなっちゃう点がヤバイ。

だがもちろんZOZOもヤバイ。

両方ともヤバイのは間違いないので、これからは脳としての機能的快感が欲しければZOZOを買えばいいし、心情としてのエモい快感が欲しければ古着女子を買えばよいといった感じに2極化が進んでいきそうである。

あるカルチャーが先鋭化していくと、そのカウンターカルチャーは成長産業になるのかもしれないと古着女子を見ていて思った。